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屋久島を駆け巡る選挙戦 [口永良部島 滞在記 -激闘!選挙 編-]

町議会選挙の選挙期間は計5日間ゆえ残り4日を残すだけだった。やれることの限られている単純な戦術で、僕が選挙カーを運転し戦友が屋久島の各所で辻立ち(街頭演説)をして行った。戦友はある時は選挙カーの前後を走り、ある時は乗車しながらポイントを見つけ、ハンディメガホンを置いての街頭演説をして周った。戦友は後に同年の屋久島町駅伝区間賞を取る脚力の持ち主である。その脚力が如何なく発揮された。規則性を持たせる為、夕方から夜にかけてスーパーの前での辻立ちとした。幾度か目に触れることで、戦友の名前を少しでも覚えて貰いたいとの思いだった。

体力勝負の選挙戦。屋久島の宿に宿泊しつつ、夜は屋久島の尾之間集落の温泉で疲れを癒した。気合入れの為、戦友は飲み慣れぬ牛乳1Lパックを飲んで翌日には腹を壊した。僕は勝負時は日頃のルーティンを大切にする方だが、戦友は気合入れの為に何か変化を付けるタイプだ。性格の違いなのである。

(屋久島の尾之間温泉。地元の人は浴場に入る際に挨拶をするので判る。)
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選挙戦最終日の前日、戦友はYシャツを洗濯し夜間に外に干した。屋久島は雨が多い。案の定、Yシャツがぐっしょり濡れ、予備のYシャツを持たぬ戦友は哀れに眼をぱちくりさせていた。そのまま着るとやせ我慢を言っていたが、僕のYシャツを貸すと申し出ると、その申し出に飛びついた。お陰で僕は前日までの汗臭いYシャツで選挙戦最終日を迎えることになってしまった。前日のYシャツを着るなど、僕の綺麗好きの人生の中で唯一の経験である。

坊主の若者2人組が屋久島を辻立ちして回る姿は、屋久島での認知向上もあった様だ。口永良部島の人々が口伝えに教えてくれた。2人だけの選挙戦ゆえに異論を差し挟む者もいなく、全てがクリアだった。口永良部島の最も熱い夏とは言葉の綾で、本当は2人だけの最も熱い夏だった。選挙期間が終了し口永良部島へ戻っての数週間の内には秋風の便りを感ずる様になった。

選挙戦の後遺症は戦友にとって甚大なものであったと僕は認識している。(本人はあっけらかんとしているが・・・) 特に牛飼いの仕事では大いなる負の遺産を背負い、今も代償を払い続けているのだ。いつの日かその負の遺産をを2人で総括・共有し直して、いつの日かの未来へ繋げていけたらいいのに。選挙戦から4年半が経過した。僕は未だにそう感ずる。

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本記事をもちまして「口永良部島 再訪記」のブログ記事が100記事になります。自分の見聞きした口永良部島の全てをなんらかの形にしておきたい思いのブログを始めました。自身の文筆力不足、島での経験不足、観察力不足など感じました。僕の記憶の襞から蘇った口永良部島の潮の香り、ほほを撫でる風のやさしさ、山々の緑の鮮やかさ。皆さんに少しでもお届け出来たならば、それは望外の幸せです。
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選挙期間の開幕 [口永良部島 滞在記 -激闘!選挙 編-]

9月後半の南国屋久島は未だ熱く台風の季節でもある。選挙期間の開始が間近になろうとしていた。時化の海の屋久島へ向かうフェリー太陽の中で立候補届けの書類を作成した。揺れる地下船室ではまともな文字も書けない。なんという突貫工事だろう。書類を書きながら戦友はあっと言う間に酔った。僕は船酔いには強い方だがそれでも気持ちが悪くなった。

(屋久島の宮之浦港)
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いよいよ立候補届出だった。朝一番に屋久島町宮之浦での役場支所で立候補届出を提出した。戦友のバンタイプの車には、公職の候補者となった戦友の名前とキャッチコピー入りステッカーを大々的に貼り付けてあった。覆いを外して選挙戦のスタートだ。選挙はがきを郵便局に持ち込んで後、選挙ポスターを屋久島の各所へ貼り付けに行った。

僕が運転手役だった。10年の東京生活でペーパードライバーの期間が長く、選挙カーで運転の練習をする様なものだった。五角形に近い屋久島の、海沿いに位置する集落を中心として設置された掲示版にポスターを貼りつけて行った。前日に予行演習で屋久島の県道を回っており地理は理解していた。2人で手分けし、宮之浦から戦友はマイカーで西の永田集落へ行き、宮之浦までの戻り道でポスターを貼った。僕は逆に東の栗生集落まで行き、宮之浦への戻り道でポスターを貼りながら戻った。

その後、午後便のフェリー太陽で(午後1時に屋久島宮之浦からク口永良部島へ出港)で口永良部島へ向かった。最初はホームの口永良部島へ向かわねばならぬとの想いからだった。本村港へ到着し湯向集落へ向かった。運転手役は僕で戦友が助手席に乗り、選挙戦のスタイルが出来上がった。その道すがらレンタルのハンディメガホンで戦友は演説の練習を始めた。ぶっつけ本番寸前の予行演習だった。

湯向集落に到着後、演説会を開催した。演説会と言っても集落の四つ辻に立って演説するのだ。湯向の集落の人々がそれぞれ集まってくれ戦友の演説を聴いてくれた。ひとまず戦友と僕とで屋久島へ行くとのことで安心した様子だった。翌朝の午前便のフェリー太陽出港前(午前10時30分に本村港を出港)、フェリー切符売り場の前で戦友は再度演説会をした。どうやら、冗談でなく、本当に町議会選挙へ立候補することに島の人々に信じて貰えた様だった。

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牛飼いの仕事をしつつの選挙準備 [口永良部島 滞在記 -激闘!選挙 編-]

屋久島町議会選挙へ出馬すると言っても戦友は牛飼いの仕事をしつつの選挙準備である。僕は閑なのだが、戦友は朝と晩の牛飼いの仕事をしつつ、一日一便のフェリー太陽へ飛び乗って屋久島を往復し、聞くも気の毒なスケジュールをこなしていた。

(戦友の牛達)
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僕は僕の役割を全うする為、戦友と打ち合わせをし印刷物のコンセプトやデザインの方向性の決断を戦友自身にさせねばならない。戦友が牛飼いの夕方の仕事を終え、ロケットストーブの煙に眼をぱちくりさせながら自炊をし、一息ついた所で打ち合わせを開始した。夜半20時にはなっていたと思う。豆電球の元で仄かに薄暗く、未だ熱の冷えぬ空気で僕の額からは汗が流れた。

僕はインターネットで選挙用印刷物の俄か勉強をしていた。印刷物を製作するには、候補者として戦友の政治理念、その政治理念に基づいた政策公約が必要だった。其処でまずは政治理念と政策公約を作りを始めた。当時、戦友は口永良部島に移住して5年が経過していた。Iターン者であるがゆえにの新しい発想を生み出せることであるとか、戦友の信条で、ひとりひとりをの声を大切にする政治理念と政策公約を作った。

【政治理念】
私は、自らの足でみんなの声を集め、勇気をもって手を挙げる人の背中を支えます。

【政策公約】
・議員の「報酬減」により奉仕精神のある人を議員にします。
議員の「定数増」により小さな集落の声も政策に反映します。
・行政の仕事を受けるだけの「駐在員」は廃止します。
みんなの学びの場であり地域のための「公民館」にします。
・区長の「権限」でみんなの声を行政に反映します。
集落の「財源」で地域の将来を担う人材を育てます。

キーカラーを口永良部島の自然をモチーフにしたモスグリーンに決めた。キャッチコピーは「島から日本の未来をつくる」にした。

選挙の準備で時間を費やしたことのひとつが選挙はがきだった。町議会議員選挙の選挙はがきは全部で800枚送付することが出来る。豊富な政治活動実績を有するベテラン議員や組織をバックとする候補者は、上限の枚数までの名簿を持っているのかも知れない。しかし、戦友と口永良部島の人々の紹介分を含めても上限の800枚には至らない。そこで、屋久島町の選挙管理委員会へ通い有権者名簿を閲覧し、屋久島町の有権者の住所を書き写した。有権者は投票が期待出来そうな、20代、30代に絞った。有権者名簿は集落毎になっており年齢も判る。20代、30代の有権者をランダムにピックアップし、パソコンでラベル作成し葉書に貼り付けた。これら2人だけだったが、あれやこれやと2人で倦むことなくやった。

有権者名簿を閲覧する作業では屋久島町の集落の呼び名を覚えることが出来た。読みが判り難い集落として、椨川(たぶがわ)、小瀬田(こせだ)、高平(たかひら)、尾之間(おのあいだ)、小島(こしま)だろうか。本土と少しづつ読みが違う。

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屋久島町議会選挙への出馬 [口永良部島 滞在記 -激闘!選挙 編-]

2013年の夏は口永良部島の最も熱い夏となった。2013年9月の屋久島町議会選挙に戦友が出馬したからだ。2013年9月22日投票日の屋久島町議会選挙。戦友と2人三脚の選挙戦は8月末からの始動だった。

後にして思えば、短期間での選挙戦であったからこそなんとか駆け抜けた2人3脚の選挙戦だった。最低得票当選が413票。戦友は108票を獲得した。当時人口150人の口永良部島から、有権者数が1万人を超える屋久島町議会選挙に挑んでの結果である。

(屋久島の永田岬から望む口永良部島)
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屋久島町の選挙は熱い。2013年選挙の投票率は83.54%。地縁、血縁を中心とした集票に、集落毎の意地が絡んで繰り広げられる。屋久島町も口永良部島同様に相手の顔の見える関係性が色濃く残る。誰が誰に投票しそうか。選挙期間中で神経の研ぎ澄まされた候補者は、有権者の顔色でもって自分に投票するか或いは他の候補者に投票するのだろうかが判ってしまう。

地縁、血縁を中心とした選挙戦が繰り広げられる屋久島町議会選挙だが、戦友と僕の2人にとって、それは対岸の火事よりも更に遠い自分達には参加資格を与えられぬ戦いであった。口永良部島と屋久島の人口比率から言って、屋久島町の有権者が口永良部島の候補者に投票する理由はない。只、屋久島町の集落にも大小あり小さな集落は単独での候補者は出せない。よって、小さな集落は他の集落との抱き合わせの候補者を自らの集落の候補者と見なす。また、宮之浦や安房と言った大きな集落の候補者であっても自分の集落の票だけで当選出来る訳でもない。集落の中にも候補者が複数名おり、候補者への集落内での有権者の好き嫌いもある。よって、自分の集落及び他集落からの票を掻き集める戦いになる。

いずれにしても戦友と僕の2人に入り込む余地のある集票戦術ではない。よって、自ずからやれることは搾られた。5日間の選挙期間中の街頭演説、選挙ポスター、選挙葉書、公報紙などの空中戦のみでの戦いである。8月末に出馬を決め9月頭より準備を開始した。戦友は屋久島で口永良部島の人々に紹介された人を回り、僕は選挙ポスターなど印刷物の準備を開始した。二人とも選挙準備など初めて、見よう見まねの準備だった。

町議会選挙の説明会が9月頭にあった。戦友が選挙の手引きの冊子を貰って来、印刷物のサイズなどを確かめ準備を開始した。印刷物は戦友の旧知である鹿児島の製作会社とメールのやり取りをし作成した。離島ゆえ顔を突き合わせの打ち合わせは出来なく、只、戦友が写真撮影の為に一度鹿児島へ渡った。

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西郷どんと口永良部島 [口永良部島 再訪記]

2018年3月23日(金)口永良部島を再訪した。エラブの母さんの家で西郷どんが座したという由来の石ベンチに座して見る。西郷どんは鹿児島全体の英雄で島流しにも遭っているゆえ、鹿児島の島々の人々にとっても夢を託したくなる存在だ。ゆえに同様に西郷どんが来訪したというポイントが島々の各地にある。その口永良部島バージョンである。

(西郷どんが座した石ベンチ)
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3月は海が意外に荒れる。オカ(陸)の季節の1~2ヵ月遅れが海の季節だからだ。2日前の21日に訪れる予定が2日連続のフェリー太陽の欠航。2日間を屋久島で過ごし23日の屋久島入りとなった。僕にとっての屋久島は口永良部島への中継点として通り過ぎることばかりで、これまで訪れた観光名所では「縄文杉」くらいのものだった。一番最初に口永良部島へ行った際の帰り道に(2013年3月)寄ったのだ。2日間を思いがけず屋久島で過ごすことになり、ささやかながら屋久島の観光名所巡りを行った。

屋久島は六角形に近い円形で海岸線の周囲を県道が走る。県道を行くと西部林道を経て1周可能だ。車で道草をしなければ、3時間から3時間半程度の道程だろうか。僕はレンタカーを借りて午後一番に出発、夕方6時くらいまでを掛けて周った。海亀の産卵で有名ないなか浜、永田岬の屋久島灯台、西部林道、大川(おおこう)の滝、中間ガジュマル、尾之間温泉などだ。

(いなか浜)
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(永田岬の屋久島灯台から見た口永良部島)
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(西部林道と猿)
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(大川の滝)
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(中間ガジュマル)
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(尾之間温泉)
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口永良部島新岳の赤茶色と青空が映えていた。夜にはエラブの母さんの自宅から西之湯まで夜間ハイクを履行した。徒歩で片道30分程度の道程。温泉へと続く磯への降り道では海の轟きが恐ろしかった。昼間にとは違い、夜の西之湯温泉は雰囲気も変わり、一風違った入浴体験となった。

(口永良部島の噴火跡の残る新岳)
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(夜の西之湯温泉)
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移住生活の終わり:カーテンコール [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

2014年5月24日(土)を僕の口永良部島での1年間の期間限定移住の最終日とすることにした。24日に島を出て翌25日(日)に種子島の卓球大会に参加し、そのまま本土へと戻るのだ。

先だっての5月3日には口永良部島でのゴールデンウィーク卓球大会が開催された。第16回目の開催で主催者は伊勢海老漁師であり卓球の名選手でもあるヨットマン。毎週月木の放課後に学校の体育館で子供と大人の部での卓球教室があり、練習生である僕は成果を試す日であった。総勢15名を超す島民が集まった。

なんと小学2年生の天才卓球少年が優勝!試合は総当たり戦での総得点方式。天才卓球少年と僕は総得点1位だった。実力差のある相手に得点を予め与えるハンディ戦ではあるが、天才卓球少年の名に恥じぬ優勝に値する活躍だった。天才卓球少年は山海留学生で、その1年程前には体育館の窓の外から卓球の練習風景を只見つめている少年だった。本当は練習に参加したいのに言い出せず、お母さんに連れられて漸く卓球練習に参加し始めた。ヨットマンとのほぼマンツーマンの英才教育の元、真面目に練習を続け頭角を現した。普段はシャイだが、卓球となると豊かな感情表現を発揮する、卓球を通しての自己表現に楽しさを見出した子だった。

種子島は前日のロケット打ち上げもあり街には観光客の姿をちらほら見掛けた。僕は口永良部島GW卓球大会の準優勝者としての矜持を以って種子島卓球大会へ乗り込んだ。残念ながらB級クラスでの一回戦敗けを喫した。 口永良部島で限られた練習相手の球筋しか知らない僕は、相手の単純なカット戦法に苦戦したのだった。

(種子島卓球大会)
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口永良部島を出た24日の朝、僕は寝待の家でぎりぎりまで作業をした。愛着のある棲家ゆえ、ヨットマンが今後に素泊まり宿にする為にも家を大事にしたかった。雨戸を閉め、家財道具にほこり避けのシートを被せた。細々とした後片付けは忙しかった。記念に持って帰っておきたい幾つかの小物もあった。口永良部島定番の漁業サンダル、昔の漁業で使用されたガラスの浮き、寝待のお湯のペットボトル詰めなどだ。

僕も含めて3世帯5名の寝待だったが、1年の期間限定移住の間には皆さんによくして貰った。島を出るにあたっては、幾つかのお土産を頂いた。寝待の母さんの出発当日には手作り弁当、寝待の姉さんのビーズ細工の魚などだ。手作り弁当はフェリー太陽で島を出てから食べたのだが、煮物の煮卵にしっかりと味が染み込んでいた。おにぎりの海苔にも味がしっかりと染み込んでいて美味しい。他人の手料理を頂く機会も島を出ると激減してしまう。

2013年の6月1日から口永良部島への移住生活を1年の期間限定と決めて始め、2014年の5月24日に終えた。フェリー太陽で島を離れつつあった。カーテンコールには海洋の波音だけが添えられており、僕の視界は海洋のオーシャンブルーと島の山々のモスグリーンで一杯になった。確かに永遠が其処にはあって、その永遠の前では海洋を屋久島へと向かうフェリー太陽の存在も霞み、僕には永遠の他には何もいらなかった。

(フェリー太陽で島を離れる)
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(離れゆく口永良部島)
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口永良部島へのアクセス [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

口永良部島と島外のアクセスは屋久島宮之浦港を発着する「町営船フェリー太陽」を恃むことになる。フェリー太陽の運航は偶数日と奇数日で運航のパターンが異なる。

偶数日は島から島外へ出るのに便利だ。正午に口永良部島から宮之浦へ到着し、屋久島での用事を午後にこなせるし、更に鹿児島など本土へ上るにしてもフェリーの屋久島2、高速船のトッピー、 JAL系航空の日本エアコミューターの当日便を利用出来る。奇数日は逆に島外から島へ入るのに便利だ。午前中までに屋久島へ移動しておき、午後に口永良部島へ戻る。

一見、偶数日と奇数日で異なる運航のパターンを持つことは不便にも思うかも知れない。しかし、敢えて異なる運航パターンを持つと言うことは、一日一便の口永良部島と島外との限定されたアクセス状況が生み出した知恵だ。

屋久島へ到るまでの交通機関は、フェリー、高速船、飛行機と選択肢がある。しかし、屋久島宮之浦港と口永良部島本村(ほんむら)港間の公共のアクセスはフェリー太陽のみであり、台風や冬の時期など欠航が数日続く場合も有る。天候を読みながら、フェリー太陽の偶数日と奇数日の運航パターンを組み合わせ島の人々は日々の生活を組み立てる。

(高速船乗船中)
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フェリー太陽の欠航時にどうしても屋久島へ渡りたい際は、漁船をチャーターする選択肢もある。運賃は船長との交渉だが、5万円程度ではなかろうか。幾人かで乗船できれば、運賃を按分出来、負担感は減る。

自然と共に生きることの厳しさと向き合う日々だ。

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※※※ 口永良部島へのアクセス方法紹介 (2018年3月時点) ※※※

【町営船フェリー太陽の運航パターン】
<偶数日>
宮之浦8:10発 → 口永良部島9:50着/10:30発 → 宮之浦12:10着
<奇数日>
宮之浦13:00発 → 口永良部島14:40着/15:10発 → 宮之浦 16:50着
※ 各々、種子島島間(しまま)港にも接続する。
※ 2等大人片道運賃:2,100円
※ 詳細:屋久島町HP http://www.town.yakushima.kagoshima.jp/ferry-taiyou/

【屋久島 ⇔ 鹿児島のアクセス】
<フェリー 屋久島2>
鹿児島8:30発 → 宮之浦12:30着/13:30発 → 鹿児島 17:40着
※ 2等大人運賃:往路 4,900円 復路 4,000円(繁忙期は片道販売で往復割引の適用なし)
※ 詳細:折田汽船株式会社HP http://ferryyakusima2.com/index.html

<フェリー はいびすかす>
鹿児島(谷山港)18:00発 → 種子島(西之表港)21:40着/翌朝5:00発 → 宮之浦7:00着
宮之浦8:10発 → 種子島(西之表港)10:10着/11:00発 → 鹿児島(谷山港)14:40着
※ 2等大人運賃 鹿児島⇔宮之浦:片道 3,300円
※ 詳細:鹿商海運株式会社HP http://www.yakushimaferry.com/

<高速船 トッピー&ロケット>
鹿児島 ⇔ (種子島 西之表港 ⇔) 宮之浦・安房
※ 1日6~7便で、各港を幾つかの運航パターンで結ぶ。
※ 大人運賃:片道 8,400円 往復 15,000円
※ 詳細:種子屋久高速船株式会社HP https://www.tykousoku.jp/

<飛行機 日本エアコミューター>
鹿児島、福岡、大阪(伊丹) ⇔ 屋久島
※ 1日往復4便、1便、1便
※ 普通運賃:15,600円、29,000円、38,400円
​ ※ 各便詳細:日本エアコミューター株式会社HP http://www.jac.co.jp/

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漁船からの光景:全島避難の口永良部島 [口永良部島 再訪記 -外伝-]

口永良部島の新岳噴火後、2015年8月と9月に一度づつ島民が避難する屋久島の仮設住宅を訪れた。心配だったが、比較的、島の人々は元気に見えた。島ではラフな格好が多いが、屋久島の避難生活では身綺麗になっていた。余所行きの格好になったということだろう。人によっては、口永良部島では出来ないアルバイトをしたり、屋久島島民有志の申し出のあった畑を耕したりと前向きな活動もしていた。ただ、ホームを離れたストレスは高齢者には負担がある様で元気のなさそうな高齢者もいた。若い世代の現金収入の問題もあった。(屋久島の業者が優先的に口永良部島の島民に仕事を回していたらしい。)

僕が島を出てから一年以上振りに見たヨットマンは体重が増えた様だった。屋久島では海に行き難く、運動量が減ってしまったのだろう。代わりに卓球でのカロリー消費に努めていた様だ。屋久島でも名が通っているヨットマンは、口永良部島の快濶児として、伊勢海老を参加者賞として出す盛大な卓球大会を開き活躍していた。屋久島町民にお世話になっている御礼とのことだが、なんでも参加者は100名超を超す規模だったとか。ヨットマンは参加賞の伊勢海老を獲る為に口永良部島に泊まり込みで伊勢海老漁に励んだ。

口永良部島は噴火警戒レベルが「5(避難)」で全島立入禁止だったのだが上陸をしなければ良い。つまり漁船で口永良部島へ行って漁をすることは出来る。よって、油代と時間は余計に掛かるものの、凪の日であれば口永良部島へ行き漁も出来る。口永良部島の漁師は火砕流で茶けた山肌を間近にし、全島避難で立ち入れぬ島を見つめていたことになる。

ヨットマンの漁船で当時、全島避難であった口永良部島へ行った。漁は許可されており、ヨットマンの伊勢海老漁の傍ら魚突きをした。時化の日で屋久島の一湊(いっそう)から口永良部島まで往路で1時間半、復路で2時間を要したと思う。漁で2時間程は口永良部島に係留していた。僕はあまり船酔いはしないが、この日ばかりは久しぶりということもあって、屋久島に戻った時には酔ってしまっていた。ヨットマンは屋久島での卓球と夕食を誘ってくれたが、断った。ヨットマンは僕に気を使ってくれたのか、夕食だけは共にし、ヨットマンは屋久島の学校で卓球へ僕は宿のベッドへ倒れ込んだ。眼を閉じると暗闇ながらにぐるぐるとした浮遊感で吐き気がした。

(屋久島「一湊港」を出港する)
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(2015年9月の当時、全島避難中の口永良部島)
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1年4ヶ月振りに見た口永良部島は、島の新岳南側が火砕流で岩肌が茶け、ごつごつした岩ばかりになっていた。海から見た口永良部島は緑の火山島ではなくなったものの、今なお自然の噴出する息吹は変わらなかった。噴火を直接目撃していない僕には、島の人々が住んでいないのが不思議なくらいだった。海に潜っても、彩り豊かな魚は以前のままに僕を出迎えてくれた。ヨットマンの伊勢海老漁のルーティンも変わりはなかった。

ただ、島に人が住んでいない。不思議な光景だった。

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屋久島への避難生活 [口永良部島 再訪記 -外伝-]

2015年5月29日の新岳噴火後、直接的なけが人はいなく島民は屋久島へ避難した。問題はその後に続く約半年間の屋久島への避難生活だった。実際は半年後に帰島したのだが、当時は帰島時期の目処はなく、先の見えぬ避難生活は高齢者にはストレスに働き盛りの年齢には収入が途絶えることへの不安となった。

僕は2015年の8月と9月に一度づつ、屋久島の口永良部島島民が暮らす仮設住宅へ行った。島民は、ある者は親戚の元へ(屋久島や鹿児島が多い)、ある者は屋久島町の計らいで公営住宅へ、ある者は仮設住宅へ入った。屋久島の島民は口永良部島島民にかなり「よくした」ようで、口永良部島島民に温泉施設の利用を促したり、ボランティア活動をしたり、ストレス解消になるよう畑を貸し出したりした。

(仮設住宅)
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そうは言ってもやはりホームを離れ、よその土地にいるのは居心地が良いとは言えない。漁師は屋久島の漁場で漁をしても良いとは言われていたがあまり積極的にはならなかった様だ。(通常、漁師は自主規制の漁場の縄張り意識がある。また、ポイントが分らないゆえ漁に出ても効率が悪いと言う事情もあったのやも知れぬ。)

一時帰島の問題では、口永良部島の島民と行政との火山噴火後の生活に対する感覚の違い見られた。口永良部島の島民はいにしえより火山と共に生きて来ている。行政的価値観からすると噴火警戒レベル「5(避難)」で全島避難の状態である。しかし、島民は様子を見つつ島へ戻りたがった。それは生活用品を取りに行く為でもあり、住まぬ家の手入れの為であり、ある者にとっては島に置いてきた牛の世話である。

火山噴火の予兆あり、一部子牛などは噴火前に屋久島へ移動させていた様だ。しかし、親牛は島に置いてきてしまっている。親牛は野生の強さで、水と草があれば放っておいても生き抜く。しかし、長期間に渡って面倒を見れない状況が続いた結果、親牛を死なせてしまった牛飼いもいた。行政的価値観を一律紋切り型に押し付けられることの弊害が出ていたように思う。とある牛飼いのおじいさんは、全島立入禁止にも関わらず屋久島から息子の漁船で口永良部島へ向かった。牛を救出する為だ。それに対する島民の評価は必ずしも当人を責める声だけではない。

動物やペットは世論を喚起する力がある。島に残された牛、ペットがネットので悲喜こもごも話題になった。湯向の賢人とペットの犬が、ヘリコプターから屋久島へ降りる映像が全国区で流れ、湯向の賢人にもメディア取材班が訪れた。災害時にはペットの動向は人々の関心に登るらしく、東日本大震災でも動物愛好家の関心が集まった様だ。

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新岳の爆発的噴火 [口永良部島 再訪記 -外伝-]

2015年5月29日口永良部島の新岳が爆発的噴火をした。僕は2014年5月末に口永良部島を離れているゆえ噴火時には島にいない。島を離れてから約1年後に噴火したことになるが、その間には新岳はガス噴出や地震と言った噴火の兆候を示していたという。(僕の移住時代にも新岳は常にガスを噴出をしていた。しかし、噴火の兆候とまでは島の人々の認識はなかった。)

気象庁ホームページの記録を要約する。2014年8月3日に噴火が発生し、火口800m以上の噴煙、火口数百mの範囲での大きな噴石、火砕流の痕跡もあった。年明け2015年からは地震が増加し2015年5月23日は本村区公民館で震度3を観測した。これらを予兆として、2015年5月29日の爆発的噴火で黒灰色の噴煙が火口9000m以上まで上り、火砕流が新岳の北西側海岸にまで達した。この爆発的噴火で噴火警戒レベルが「3(入山規制)」から「5(避難)」に引き上げられ島民は屋久島へ避難した。同年8月迄は複数回の噴火と火山性地震が観測される状況だった。同年10月21日に、噴火警戒レベル5(避難)は継続しているものの、避難の範囲が新岳火口から概ね2.5kmに狭められたため(新岳火口から2.5km内の一部居住区は立入禁止を継続)、年末迄には島民がそれぞれの事情に応じ順を追って口永良部島に戻ることになった。2016年6月14日には、2015年5月29日と同程度の噴火が発生する可能性は低下していると考えられるとされ、噴火警戒レベルが「5(避難)」から「3(入山規制)」に引下げられた。

(新岳の南西側からの口永良部島。火砕流の爪痕が残る。写真は2016年5月に撮影。)
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当日の爆発で最も生命の危険に瀕したのが口永良部島の南側の道で作業をしていた外部からの作業員であったと言う。噴煙から逃げる中で作業員の顔は真っ黒になり、救助向かった島民からなる消防隊と遭遇した。本村(ほんむら)集落の内、最も新岳寄りにある、新興住人が多く住む「前田」地域まで噴煙は広がった。幸いなことに直接的に重大な怪我を負う島民はいなかった。避難は「番屋ヶ峰」と呼ばれる島の小高い丘へ、前の訓練通りに行われた。

当時の人口は130人程度であっただろうか。普段から顔を突き合わせる間柄ゆえの地域コミュニティの力を発揮し迅速な避難であった様だ。

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