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移住生活 雨模様 [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

移住生活最初の月、6月の口永良部島の思い出は兎に角「雨」である。僕がそれまで住んでいた東京の梅雨は、年によっては気が付けば去ってしまう程度のものだ。一方、口永良部島ではしとしと雨が毎日降る。口永良部島は高温多湿な気候に加え、常に海からの潮風にさらされている。よって、年中、洗濯物がカラっと乾くことはない。6月は尚更であった。

(大雨だと道が川になる。へきんこ亭 新館から。)
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6月の僕は戦友の建てた移住・交流体験施設「へきんこ亭 新館」に居住し、毎日雨を恨めしく思いつつ、徐々に島の生活の何たるかを想像で補いつつ学んでいる段階だった。へきんこ亭 新館は自然体験施設ゆえ、敢えてガスは引いていなくロケットストーブでの自炊生活だった。枯れ竹の薪拾いから始まり生活して行くために多くの時間が割かれた。

島は物流困難な場所ゆえ、大きな冷凍庫を殆どの家庭が所有している。戦友も同様で、戦友の冷凍庫から恐らくは貰ったであろうカチコチの鹿肉の塊を取り出して来てはバーベーキューにしたり、毎日、飯ごうでご飯炊きもした。これらは炊飯関係は日を追う毎に上達し、ロケットストーブへの火のつけ方もかなり上達した。

へきんこ亭新館周辺の雑草の成長はそれはもう早く、毎日雑草の背丈が伸びて行くかの様だった。へきんこ亭新館の草むしりもしていた。草むしりを厭わずすることは、湯向(ゆむぎ)集落の人々に印象が良かった。草むしりをしながら通りがかりの集落に人と話した。なんせ彼らにとって未知の人間である。自分という人間を知って貰うのが大切だと思った。

へきんこ亭新館には北海道大学からの学生の同居人もいた。離島の物流調査の勉強をしたいとのことで、大学の先生の細い伝手はあったものの飛び込みのような形で島に来ていた。島民の紹介で戦友の元に送り込まれ2週間程だったろうか同居人となった。同居人が出来た事で炊事の分担が出来る様になり、僕は一層のこと草むしりに精を出すことが出来た。のこぎりやなたを使って、潅木程の雑草も切り倒した。

以上

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移住生活 こと始め [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

口永良部島へは当初1ヵ月程滞在し、様子を見て移住の完全準備をする企図があった。6月の南国へ行くことも有り衣類の荷物の嵩は少な目、生活の為の最低必需品以外は持っていなかった。荷物と言えばせいぜいボストンバックとリュックサックを1個づつを持っているだけだった。

旅程は、以後何度も通うことになるが、鹿児島港を朝8時30分に出港するフェリー屋久島2経由屋久島宮之浦港で午後便(奇数日)である町営船フェリー太陽に乗り換え口永良部島入りするパターンである。

屋久島宮之浦港で今回の後見人として来てくれていたシンガポール在住のF氏と落ち合い、F氏とフェリー太陽に乗り込んだ。後に湯向集落で会うことになる伊勢海老漁師のヨットマンもフェリーには同乗しており地下船室のTV前で寝そべっていた姿が脳裏にある。漁師らしく肌は浅黒く日焼けしており白髪で奇怪な人物に当時は見えた。ヨットマンは僕が当日に口永良部島入りすることを戦友から聞いており、当人であると推測していた様だった。(大体においてフェリー太陽に乗船するのはほぼ島民の顔見知りだ。観光客をはじめとする見知らぬ人物は素知らぬ顔で注目を浴びている。)

僕は緊張のあまり頭が真っ白であったのだろう。只、ヨットマンの印象だけが脳裏の影として残っている。それ以外、フェリー太陽の中でF氏と何を話していたかや船外の大洋の光景等の記憶は完全に欠如している。

(フェリー太陽からの口永良部島)
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夜は戦友が湯向(ゆむぎ)集落の「へきんこ亭 新館」で飲ん方(のんかた)を開いてくれた。本村(ほんむら)集落の島の若手(先日の島の青年と島の長老も含む)と湯向集落のメンバーが来てくれていた。

F氏は人間は動物と違い発情期間を失ったことで(SEXが常に出来るということ)ある種の異常を抱えていること(戦争をしたりとかそういうこと)、死というものは万人に訪れるもので延命治療は不要であると自分は考えており口永良部島の様な医療へき地の人間も同様の考えを持つべきである等々、奇怪な話をしていた。戦友は準備疲れをしたのか中座してへきんこ亭新館の上にある元祖「へきんこ亭」である自宅に眠りに行ってしまった。

F氏の奇怪な話に、1年間とは言えこれから眼前の島民と島で暮らして行く僕は肝を冷やしていた。F氏とは飲ん方後に湯向(ゆむぎ)温泉へ一緒に行ったが、死同様に湯向温泉は万人に平等で有り癒しを提供してくれた。

(湯向温泉)
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フロイトと口永良部島 [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

東京に戻った。戦友に連絡を取った。全体として、僕が口永良部島に1年間移住することに対して戦友は躊躇する部分があった様に思う。その時点ではお互いの人物面の相互評価も未着手だった。過去には移住者が口永良部島で上手く行かないこともあった様だ。

3月に口永良部島を初訪問し6月から口永良部島で1年間を暮らそうと決めた。その間のふた月には東京と鹿児島の薩摩川内市で戦友に会った。薩摩川内市で会ったのは戦友が消防団の訓練で鹿児島に上って(のぼって)いたからだ。

後に知ったが、実際に僕が口永良部島に住み始めるか戦友は確信が持てなかった様だ。僕は戦友に実際に会って話をしているゆえ十分だと思っていたが、通常は移住者が島に来る際はもっと頻繁に連絡を取るものらしかった。(例えば、島の生活であれは有るかとか、無いのかとかの類のこと。) いざ口永良部島へ移住する為のフェリーへの乗船前夜、鹿児島市の鄙びた銭湯からの帰途に戦友から電話があった。あの電話は戦友の確認連絡であった様に思う。

その頃の僕は何をしていたのだろうか。離職していたゆえ閑はあった。当時は東京の文京区白山に住んでいて、近所の真砂中央図書館でフロイトの「精神分析入門講義」を読んでいた。僕は古今東西の古典を読みたいという意思は常にある。只、古典を読むのはスタミナが必要でものぐさな僕はなかなか実現させない。纏まった時間を要する読書は会社員時代には実現が難しく、今しか出来ないことをしておこうとフロイトを読んでいた様に思う。

フロイトを読了したものの内容は綺麗さっぱり忘れ、2013年5月末に口永良部島に旅立った。

1915-17年 精神分析入門講義 (フロイト全集 第15巻)

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島の長老と屋久島の縄文杉 [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

口永良部島滞在の最終日。奇数日ゆえ午後に口永良部島の港を出港し屋久島宮之浦港に向かう運航パターンである。午後3時過ぎの町営船フェリー太陽の出港前に、戦友が本村(ほんむら)港へ向かう道程に「島の長老」と島の長老の公園を案内してくれた。

島の長老は当時90歳を越える齢であったと記憶している。本村(ほんむら)集落に棲み、竹や雑木の藪を切り開いてたった独りで「公園」を造成していた。公園は比較的最近の移住者の開墾地だった新村(しんむら)へ上って行く道の途中から山道を進んだ海を望む場所にあった。島の長老は再び子供の声で溢れるような島になることを願っていたのだ。

公園から望む海は本村港側の海のはずだったが当時の僕にはそれは名の無い海だった。島の長老からは島の歴史や過去の生活を聞いた。ふと島の長老が腕時計で時間を確かめた。僕らが乗船するフェリーに乗り遅れないようにとの配慮だった。口永良部島で生きる為の生活リズム、他者への配慮。其の土地に従い生きる者達の「永遠」を見つけた気がした。

口永良部島から屋久島へのフェリー太陽乗船中、塾長に僕自身のネクストステージについて聞かれた。(当時、離職中だった。) 卒塾後の1年間は世界を旅しようと考えていたが代わりに口永良部島に1年間住んでみようと思うが、塾長はどう思うかと僕は尋ねた。政治の勉強なら、世界を旅するよりも条件が日本で最も厳しく相手の顔の見える口永良部島へ行った方が良いと塾長は言った。その時点で僕の心は殆ど決まっていた。明日に屋久島の縄文杉を見学しに登山するので縄文杉に相談してみますと僕は塾長に伝えた。

翌日には早朝から夕方まで往復10時間の道程で屋久島の縄文杉を見に行った。縄文杉にも島の長老と同じ「永遠」があったとは後付けで有り格好の付け過ぎだ。縄文杉に相談して口永良部島への1年間の期間限定移住を決意したと、後日、塾長に報告をした。

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島の青年と岩屋泊(いわやどまり)へ行く [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

初めてのエラブ(口永良部島)訪問の2日目午後、我が戦友は相変わらず忙しい人で僕ら3人の相手もそこそこに土方(どかた)のアルバイトがあるという。そこで「島の青年」がエラブの案内をしてくれることになった。

島の青年は関西出身の料理人。戦友の作ったホームページを見たことがきっかけで1~3年の期間限定で島に移住。間もなくやってくる3年のタイムリミット後は、中国料理店のお店を持つことが夢であると言う。海が好きで、素もぐりの魚突きや海中カメラが大得意。この年(2013年)7月にエラブを離れる際には、島の人々に「あんたみたいな子はおらん」と言われ別れを惜しまれた島の人々に大人気の好青年である。自分が働く島の運送会社の箱バン運転し本村(ほんむら)集落から湯向(ゆむぎ)集落までやって来てくれていた。

島の青年は景勝地や温泉を中心にエラブ一周を案内してくれた。最後、湯向(ゆむぎ)集落から逆の位置に当たる島北西の湾「岩屋泊(いわやどまり)」に寄った。海のブルーが目に突き刺さる中、3月にしては穏やかな湾を見ながら島の青年と話をした。島の青年は料理人として3年のキャリアを犠牲にして島にいる。だからこそ島で海に潜ったり自然に触れたりして育んだ「感性」を今後の自分の料理や人生に活かしたいと語っていた。

今から思えば当時の僕は島の青年の語っていた「感性」という言葉の意味をその100分の一も理解していなかったように思う。当時の僕は東京での約10年のサラリーマン生活の後の頃。ビジネス世界の理屈と論理(例えば、半年や1年の決算という短期的思考、人間性を拝した数字評価)や社会全体の経済合理性の裡に知らず知らずに人としての感性、情緒をすり減らしていた様に思う。

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島の青年に湯向集落まで送って貰い島の青年とは別れた。戦友は、夕方になっても土方のアルバイトが終わらず、塾長、F氏、鹿児島大学の学生、僕の4名にてカレーライスを片手に語り合う夜となった。

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湯向(ゆむぎ)温泉とエラブの他温泉 [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

湯向集落は湯向温泉を囲んだ小さな集落だ。初めて訪れた人が、山を通り抜けた後に小さな平地と温泉の桃源郷の様な場所と表現していた。湯向温泉は湯の花が浮かぶ温泉で皮膚疾患のある人にその治癒効果が好まれている。火山島の口永良部島には4つの温泉がある。湯向温泉、本村(ほんむら)集落の本村温泉、美浦海岸の西之湯(恋之湯)、寝待温泉で有り、それぞれに特徴が有り口永良部島に湯治客を呼び込んでいる。

湯向(ゆむぎ)温泉
集落の人々が日々清掃、大切に管理されている温泉。湯の花が舞い木造の建物が味わい深い。
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本村(ほんむら)温泉
温泉管理人も常駐する建屋の施設の整った温泉。赤銅色の鉄分・塩分の多い泉質。
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西之湯(恋之湯)
海岸縁の絶景が望める温泉。海の満潮時にお湯を引き入れる。塩っ気の強い泉質。
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寝待温泉
島民が日本一と自慢する温泉。乳白色の泉質で湯治客用に湯治宿もあった。巨大岩「寝待の立神」は絶景である ※ 寝待温泉は2015年5月29日の火山爆発以降に土砂で埋まってしまい現在閉鎖中。
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口永良部島での最初の晩餐の後に湯向温泉へ行く。
温泉の建屋の前にある名句「口永良部雪は降らぬが星は降る」の通り温泉からの帰途には星の近さに驚いた。

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最初の晩餐 [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

僕ら4人は島の食材の調理にてこずっていた。正直言って、タコ現物そのものを目の前にしてその存在の耐えがたさにどうしたら良いか分からなかった。鹿児島大学の学生は幾度か口永良部島に来島した経験有り、他3人より島慣れしていた。木製まな板の上で切れない包丁を使って、がしごがしタコ足を豪快にぶつ切りにし刺身にしていた。

そんな処に戦友が牧場から戻って来た。せっかちな様子でまばたきをぱちくりしながら調理を引き継いだ。戦友得意の「野菜の水煮」である。(カメノテの出汁と多少の味噌で味付けはしてあった。野菜は湯向(ゆむぎ)集落のご近所からのおすそ分けだ。) 枯れた竹を薪にし、ロケットストーブに火を起こし飯ごうで玄米を炊いてた。

晩餐は、タコの刺身、カメノテ出汁の野菜の水煮、玄米ご飯の夕食だった。戦友の生い立ちや口永良部島で暮らすようになったいきさつを聞いた。奈良県出身であること。実家の自営業で日本を飛び回った後、友人の結婚式で鹿児島を訪れ、種子島~屋久島を旅行中に屋久島の民宿の女将に口永良部島のヨットマンを紹介されたこと。ヨットマンの民宿の手伝いをし、後に口永良部島で牛飼いを始めたこと。

戦友には人懐っこいところがあり(他人の家への泊まり癖がある)、お年寄りに愛着があるところがある。島は人と人との距離が近くなる場所であり当時の湯向(ゆむぎ)集落は、8世帯10人。一番の若手が50代のヨットマンだった。戦友の心象風景に合ったのでないだろうか。

(湯向集落全景)
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へきんこ亭 新館 [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

口永良部島の湯向(ゆむぎ)集落に着いたのは夕方近く。戦友の拠点「へきんこ亭 新館」に到る。「へきんこ亭 新館」は県の助成も受けて建てられた移住・交流体験施設だ。屋久島の大工によって建てられ、網代(あじろ)組みの壁面とロケットストーブも設置されている木造の自然体験施設である。

(へきんこ亭 新館)
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(壁面 網代組み)
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「へきんこ」とは耳慣れない言葉だが口永良部島では「へき」と呼ばれる魚を夏の間釣り食する習慣がある。「へき」とは他地域では「オヤビッチャ」とも呼ばれ、成魚で体長15~20cm程、黒のストライプと黄色味がかった魚体のカラフルな魚である。島民の間では姿揚げが特に美味とされる。「へきんこ」とは「へきの子」くらいの意味だ。へきは口永良部島を象徴する魚で老若男女が釣りを楽しむ。夏にへき釣りをすると撒き餌にへきが数十匹、数百匹の単位で集まる。水面がへきでざわつき、親指ほどのちっちゃなへきんこが水面を遊ぶ様子は眼を楽しませる。湯向(ゆむぎ)集落では「へきんこ釣り大会」がかつて開催され、出郷者に帰郷を促すイベントでもあったと言う。

(屋久島のスーパーで販売されていたへき)
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さて我が戦友は忙しい人だ。夕方は牛飼いとして湯向(ゆむぎ)集落から車で7~8分程の町営牧場に牛の様子を見に行くという。へきんこ亭 新館には海亀保護の活動に関わる鹿児島大学の学生もおり、僕ら3人組みの為に夕食の準備をしている様だ。夕食の食材として湯向集落の漁師ヨットマンが獲ったであろうタコと「カメノテ」もあった。カメノテはへき同様に口永良部島を代表する島の食材で、その名の如く「亀の手」の形状に似た貝の一種である。磯に行くと岩の間からカメノテが生えているように見える。茹でて食したり味噌汁に入れたりする。磯の香り高く野性味溢れる味でとても美味しい。

(カメノテ)
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島の海の食材と格闘しながら、僕ら4人は夕食の準備をする。

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第一印象は「鹿」の島 [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

初めて口永良部島に訪れた3人組、フェリーのデッキを降りると戦友の出迎えを受けた。口永良部島は当時の人口150人ほど。島民にとってフェリーから下船するのは顔見知り、ないしは工事の業者関係である。その双方でなければ観光客である。島民は島の「誰」のお客さんであるかとの視点で見知らぬ人を見る。当時は解らなかったがそれが島民の感覚だ。僕達であれば我が戦友の客だ。

戦友と共に3人組は、港より徒歩にて程近い役場出張所の待合にて打ち合わせをする。2泊3日の滞在の前に、滞在をより良きものにするよう塾生2名から今回の口永良部島訪問の目的を知りたかったらしい。僕は、これまでサラリーマンとして限られた人間関係・業界の中で生きて来たので、日本の過疎地は数あれど最も条件の厳しい離島の生活や人を見たかった、と答えた様に思う。それまでのイメージで僕は戦友のことを自然児として捉えていたが、意外に理屈っぽい人との印象を持った。

それから戦友の車(箱バン)に乗車し本村(ほんむら)集落から湯向(ゆむぎ)集落へ向かった。本村(ほんむら)集落と湯向(ゆむぎ)集落は2つの道路で繋がれている。(2015年5月29日の火山爆発以降、1ルートは立入禁止区域にかかり2019年1月12日の現時点では閉鎖中。) 各々のルートが車で30分程度の道程なのだが、道は曲がりくねっており初訪問者は方角の感覚を失い島のどの辺りを走行しているのかが判らず困惑する。レンタカーで口永良部島に来る観光客もいるのだが、何かの拍子に車のタイヤが側溝に落ちてしまったら、携帯の繋がらない場所も多くロードサービスの来れる場所でもない故、途方に暮れると思う。(まあ、実際は通りがかりの島民が大抵助ける。) 口永良部島の道路はコンクリートであり側溝に蓋はついていない。一応の二車線である。(ただ、脇の草が道に覆い被さり一車線のように感じる。)

全く位置感覚が掴めず走行する車中での口永良部島への第一印象は「鹿」の島である。走行中、度々遭遇する野生の鹿。立派な角を持った鹿からバンビのような鹿まで。2~5体の複数で現れることも多い。僕はその時はのん気に鹿を見て喜んでいた。ほどなく鹿は島民の畑を荒らす害獣で有り駆除の対象となっていることを知る。因みに「新村」という地域を含む島の西半分は野生のヤギの宝庫である。

(写真は山道だが、実際は車道にも度々野生の鹿が現れる。)
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(鹿は罠猟での駆除対象)
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程なくして湯向集落に有る戦友の拠点である「へきんこ亭 新館」に到着した。

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口永良部島へ初めて訪れる [口永良部島 滞在記 - The Origin –]

戦友との熱海での出会いから約2ヵ月後の2013年3月、口永良部島に訪れる機会が出来た。社会起業・政策学校 一新塾の現場研修としての案内がメールで送られて来て、参加の応答をした。同時期に一新塾で学んでいた塾生は100名程度と記憶しているが、口永良部島は流石に遠隔地ともあってか、口永良部島への訪問者は塾長、塾生F氏、僕の3名のみだった。ともすると人気の現場研修は参加者も多く、それが故に押しの強い参加者もおり、シャイな僕のような人間には薄っぺらな研修にもなってしまいがちだが、少人数での催行は幸運だった。戦友も含めて4名でじっくり話が出来ると思ったからだ。

鹿児島港南ふ頭から「フェリー 屋久島2」にて屋久島へ向かった。フェリーに乗るのは初めての経験だ。僕は岐阜県出身、岐阜には海はないし、京都での大学生活、東京での就職後も海が自分の生活と共にあったことはない。全てが新鮮だった。

屋久島 宮之浦港に到着し、口永良部島 本村港へ向かう町営船「フェリー太陽」で一新塾 塾長、F氏と落ち合う。聞けばF氏は機械商社をシンガポールで社長として経営していると言う。世界は狭い。

(フェリー太陽)
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フェリー太陽の中で、塾長、F氏、僕の3名で口永良部島に訪問する前の予習をすることにした。いや、口永良部島に関する予習と言うよりは我が戦友に関する予習である。一新塾では、理念、論理、理屈も大事だが、まずは「人」を重視せよと教える。

戦友が南日本新聞へ寄稿していた連載記事(若者の過疎の島での移住生活の記事ですね)や代表理事として活動していた「社団法人へきんこの会」HPの紙出力していたものなどを読んでいたと思う。しかし、1時間40分の航海中には皆だんだんと無口になって行ったかと思う。外洋を行くフェリー太陽の船室は大抵の乗船者は船内で横になってくつろぐ。酔ってしまうからだ。何か資料などを読もうとするのは、当時の僕らのような海を知らない者達の所業である。

当日、差ほど波は無かった様に記憶している。それでも塾長が船酔いで気分を悪くしていた姿を今も思い出す。ただ無事のこと3名は口永良部島へ辿り着き口永良部島の港にて戦友の出迎えを受けた。

(口永良部島 本村港へ着く)
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